機動戦士ガンダムSEED DESTINY 第44話「二人のラクス」

SEED&DESTINYを通じて様々語られるテーマはもちろんそれぞれ考えさせられるものですが、結局、『自分とは何なのか』、というところに収斂するのではないかと考えた今週でした。

予告を見るに、ミーアはバカンスですかね(笑
プラントが破壊されているこの状況ではナシだと思うのですが、まぁそれは置いておいて。ラクスを演じる事に自らの役割を見出したミーアですが、でもこのラクスはデュランダルの求めるラクスであって、本物のラクスでもなく、またいくら自分が「私がラクスだ!」といっても、自分以外の人間が認めてくれなければ、まったく通用しないものでした。
しかしこの逆も有り得るわけです。「私はミーアよ!」と言っても、シンが「彼女はラクスだよ」と言えば、コニール達はラクスと思うかもしれません。
要するに人は自分の行動を決める際、その情報に多くを依存しているということです。
拠って立つもの=役割、立場、組織、環境、信条、人種、宗教、歴史…
自分が手に入れることのできる情報は人によって異なり、またそれは人によって恣意的に操作できるものです。そして人は都合の悪い事を「知らず、聞かず!」(笑)ということも多分にあり、都合の良い事だけを取捨選択することもあります。

情報戦を通じてそんなことを考えました。

人は人として生まれ、そして人一人で生きていくことはできません。
そこに社会が存在しています。
そこで人は知り、あるいは知らず、自らの人生を歩んでいきます。

そして人々には人それぞれの拠って立つものが形成されます。

もちろん人それぞれの拠って立つものの違いはそれぞれの人の特徴そのものであり、尊重されるべきものです。しかし拠って立つものはあくまで拠って立つものであり、自分という存在そのものではないということを常に認識していなければならないのではないでしょうか?

「怖いのは閉ざされてしまう事」怖いのは、自分の拠って立つものが自分のそのものとなってしまうことです。そして何かに縛られ、思考停止となったり、硬直してしまうことです。

例えば自分の子どもを殺されれば、それに縛られない親の方が珍しいでしょう。それに対して犯人を殺してやりたくて、実際殺すかも知れません。
客観的に見て、私なら犯人を殺したくなる親の気持ちは分かりますが、実際に殺す事には否定的です。しかしその殺された子が自分の友人だったら考えも変わるでしょう。自分が殺された親だったら殺してしまうのかもしれません。
これらも全て「拠って立つもの」の違いによるものです。

願うのはただ幸せな生活なだけなのに、拠って立つものの違いで、人々の間に齟齬が生じ、時には戦争をも引き起こすのかもしれません。

おそらく我々はこれを乗り越える術を持っていないでしょう。
しかし少なくとも1つ言えるのは、拠って立つものに囚われず、常に問い続ける事が重要であるということです。
ただ力を行使するというのは人間以外にも可能ですが、人には言葉があります。そして対話をすることができます。
自分で自分に問い、誰かに問い、誰かに問われる。
何事もまず言葉を用いることが大変重要であると私は考えます。

抽象的ですが、分かってもらえると嬉しいです。
どんどん話がずれました(爆)

前作のキラとアスランみたいに「仲間が殺された」というお互いの拠って立つものを乗り越えたして、問題になってくるのはでは自分って一体何なんだという所ですよね。
そこで遺伝子ですよ。
究極的には遺伝子で人の形、人そのもの全てが支配されているのかもしれませんから。遺伝子の配列で自分とまったく同じ存在すら作ることができるなら、本当の自分って何なんだと。
そういえばレイは「本物か偽者かはどうでもいい」(クルーゼ=クローンを思い浮かべながら)とか「議長は正しい、俺はそれでいい」という主旨のことを言ってましたね。
もちろんこれはラクスが本物かどうかの話で、そこでのレイの主張は議長大好き♪ということでしたが、ここから垣間見えるのは、容姿が同じであろうと、遺伝子が同じであろうと、要は一人の人間としてどうかということだけが重要ということでしょう。
しかし、拠って立つもの、遺伝子、などを突き詰めていくとやはり自分とは何かという所が問われます。

私の私見ですが、それは「心」でしょう。

遺伝子操作でもいじることはできません。
一人一人が確実に持っていて、しかし形はなく、場所も分からないが、やはり確実に持っている、そして一人一人おそらくまったく違うであろう「心」。

とりあえずハイネ隊けっこう気に入りました。

正直プラントが崩壊していく姿は衝撃的でした。
イザークは相変わらず熱くてけっこうですが。
そしてプラントを守るために戦い続けます。

議長は「争いがなくならぬから、力が必要だ」と言っていましたね。しかし力で争いはなくなりません。もし仮に、全兵器を廃棄したとしたら、そこに一時幸せな世界が訪れるかもしれませんが、もし誰かがまた兵器を手にすれば、争いが起こり、全て繰り返しです。議長は争いの根源と言うロゴスを引っ張り出してきて、自らDESTINYプランでその後の世界を秩序あるものにしようとしています。
ラクスの言う通り、確かにこれがうまくいけば争いはなくなるかもしれません。
しかしそこには遺伝子によって定められる事のない人の「心」が欠如しています。
議長の計画は確かに楽な道なのですが、思考停止に陥り、人の「心」が欠如してしまっている彼の計画は人としてあってはならないものです。それは「心」の否定を通じて、人という存在を否定する訳ですから。

やはり人は守るためには戦わざるを得ないのかもしれません。
争いが存在している現在においてここから脱却する事は難しいです。しかしたとえ困難でも、たとえ辛くても、人は戦わないために色々な意味で、そして色々な方法で「戦い続ける」ことが必要でしょう。

未来は誰かに作られた運命じゃなくて、人が、人の自由な「心」が作るんです。多分w

とりあえずディアッカ死なないで&シホ出してな「二人のラクス」でした(笑

最後に締めを。
今回このSEEDシリーズでは拠って立つものに拠らない自分の本質みたいなものが問われていると思うのですが、それが「種」で比喩されているのではないでしょうか。
種は例えば砂漠に咲く花もあれば、コンクリートから一生懸命出てこようとする雑草、たんぽぽ、田んぼの稲など、それぞれの種にそれぞれの拠って立つものがあって、しかも一つ一つしっかり生きようとしています。
一人一人の人間が、どう生きるのか、番組として結論を書かないのは卑怯と言う方がよくいらっしゃいますが、ひたすら問い続けるのも悪くないかな…たまには。たまにはですよ。

あ、コメントとトラックバックは大歓迎です(><)

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